2021年05月31日

日本を多面的に研究する在日ドイツ人から見た「日本」とは?

ドイツ日本研究所・所長、
フランツ・ヴァルデンベルガーさんを
お迎えしています。
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ーーまず、ドイツ日本研究所とは、
どんな研究をされている所
なのでしょうか?
フランツさん「1988年にドイツ政府が
設立した日本を研究する学際的な期間
です。私で4代目の所長になります。
研究テーマは研究員にそれぞれ
あるんですが、今のテーマは
『リスクとチャンス』
主な課題は社会科学や経済学など…
幅広い分野から日本の直面している
課題を多面的に研究します。
僕自身は、経済学者なので、
今は主にコーポレート・ガバメンスや
生産性の問題…昔で言うと
アベノミクスについても研究
していました。」

小黒「そもそもフランツが
日本に興味を持ったきっかけは
なんなんでしょう?」
フランツさん「私は17歳から
19歳までドイツ政府の奨学金で
ウェールズの国際カレッジに
通うことができました。
そこでは40か国の学生が
来ていて、そこで日本人の友達が
できました。卒業後はぜひ日本に
行きたい!と思う様になり、
大学生時代に得たお金で
日本に来ました。
そのときは、全然日本語が
できなかったんですが、
非常に印象的だったんです。
と言うのもその前にヨーロッパの
色々な国に行っていたのですが、
異文化的な体験はなかったんです。
日本に来て初めてカルチャー
ショックを受けました。
人間関係の雰囲気とか…
普通のお店の店員さんの態度
とか、街の環境とか…
やはり雰囲気は違うと
当時はすごく感じました。」

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2021年05月27日

荻田さんが地元・神奈川県大和市で新たにはじめた「冒険研究所書店」とは?

北極冒険家の荻田泰永さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー北極冒険家の荻田さんが
5月24日にオープンしたのが
冒険研究所書店」です。

荻田さん「地元神奈川県大和市に
オープンしました。小田急江ノ島線の
桜ヶ丘という駅の目の前です。
実は数年前から自分の事務所を
置いてある場所だったんです。
この20年くらいの冒険の道具を
保管したりして、人が来れる様に
して見てもらうというのを目指した
事務所だったんです。
今から3、4ヶ月前に本屋にしよう
とふと思い付きまして…
この1、2年、コロナ禍というのも
ありましたけど、本をたくさん
読んだんです。
その中で体験というのはこの20年
してきたんですけど、知的体験は
自分で抜け落ちていると感じた時に
本をやたらと読む様になり、
抜け落ちていた部分が補完されて
行く様な感覚を覚えたんです。
その時に、やっぱり本って面白い
なと思い、1人でやるよりも
みんなでやろうと思って書店を
開くのを決めました。」

荻田さん「開店するのにクラウド
ファンディングを行って皆さんから
協力してもらった部分もあります。
現状、古本が2000〜2500冊、
新刊が500冊くらい置いています。
私の私物の古い本や、寄贈してもらった
探検や山の本を閲覧用として
用意するつもりです。
月曜日が定休日になります。」
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冒険研究所書店
神奈川県大和市福田5521-7
小田急桜ヶ丘駅東口降りてすぐ
Twitterでも情報発信されています。
Twitter;@bokenbooks
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2021年05月27日

【Podcasting 第736回】荻田泰永さん

今回のポッドキャスティングは、
5月24日~27日放送分、
北極冒険家の荻田泰永さんです。

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2021年05月25日

小学6年生と100マイルを歩く「100 miles Adventure」 その活動と思いについて伺います。

北極冒険家の荻田泰永さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー荻田さんは2012年より小学6年生の
子供たちを対象にした
100miles Adventure」を
主催されています。

荻田さん「100マイル…
160キロメートルを夏休みに
小学6年生と100マイルを歩く
活動です。大体10日間くらいかけて
1日20キロから25キロくらいを
キャンプしながら歩いて行きます。
今年で10年目になるんですが、
歩くルートは毎年バラバラです。
過去には、東京駅から富士山の
てっぺんまで行ったり、
厳島神社から出雲大社まで行ったりとか
毎年場所を変えてやっています。」
小黒「荻田さんはこれを
事前告知なしにやってるんですよね?」
荻田さん「そうです。募集開始日の
事前不告知で、かつ先着順です。
これは公平にしたいからです。
一回の定員が8人なんですが、
何年か前から夏休み中に2回
やっているので16人しか枠が
ないんですけど、例えば
その16人に30人応募があって、
そこから16人を選びますだと
不公平だと思うんですよ。
30人いたら、それぞれの
グラデーションがあるわけ
じゃないですか。
何年も前からずっと準備してきた子や
急に親が決めてくる子もいる。
この募集方式にしておくと、
熱量で決まるので、お互いに本気に
なれるんですよ。」

小黒「今まで160人前後が参加
したということですが、その子たちに
反応を遺させたりしてないん
ですか?」
荻田さん「過去に参加した子たちが
高校生になった時に何人か連れて
いく様にしています。そうすると
当時わからなかった裏側を知るわけです。
スタッフが裏側で何をしているか、
歩いているときはわからない。
その面を知った時に初めて完成だと
思っています。」

今夜の選曲…HYMNE / VANGELIS

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2021年05月24日

その冒険魂を次世代に継承する活動、 そして、新たにはじめた「本屋」のお話、伺います。

北極冒険家の荻田泰永さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー荻田さんは2000年より20年間で16回、
北極圏各地をおよそ10,000km以上冒険され、
2018年に「植村直己冒険賞」を受賞。
国内外から注目されている日本唯一の
「北極冒険家」です。
荻田さんはなぜ歩いて北極点へ?

荻田さん「一番最初はたまたまその方法で
始めたというのがありますが、
80年代〜90年代に活躍した
大場満郎さんという冒険家の方が、
若者を連れて北極を歩くという
活動をされていました。
実は私が初海外旅行で
参加したというのがきっかけです。」

ーー幼少期の荻田さんはどんな子供
だったのでしょうか?

荻田さん「生まれたのが神奈川県の
愛川町という山と川に囲まれた土地でしたので、
そこで遊んだり、ちょうど子供の頃に
テレビゲームが出てきたので家で遊んだり
全部遊んでいました。
正直いうと、子供の頃に冒険に
憧れたという原体験はなくてですね、
北極に行ったのも大学を辞めて、
フラフラしているときに事故みたいに
出逢ってしまったんです。
北極に対する1番の魅力は、
これ!と言い切れないんですが、
日本にいたら見られない物や
出逢えない人…そこに行かないと
見れない知識ではない体験が
あるということですかね。」

小黒「荻田さんほど、何度も
北極に行かれていると温暖化の
問題なども実際に感じられて
いますか?」
荻田さん「これは難しいところも
あって、北極と言っても広いので
毎年毎年同じ場所ってないんです。
場所が少しずつ変わっている。
温暖化について実際に感じると
すると、植村直己さんが北極圏で
活躍されていましたが、
植村さんが当時通れていた所が、
今では氷が貼らなくて通れない
という場合があったりします。
あとは現地のイヌイットが
話す言葉なんかからも感じる
ことがありますね。」

荻田さんがオープンされた『冒険研究所書店』のHPはコチラ!

今夜の選曲…L'ENFANT / VANGELIS

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2021年05月20日

【Podcasting 第735回】矢口信男さん

今回のポッドキャスティングは、
5月17日~20日放送分、
カメラマンの矢口信男さんです。

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2021年05月20日

地元・清澄白河で感じた「下町と文化」について伺います。

カメラマンの矢口信男さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー今、拠点となっているのは清澄白河。
幼少から下町を見てきた名カメラマン
の目に、その変化はどう映っているの
でしょうか?

矢口さん「東京の中ではあまり
変わっていない方だと思いますが、
やっぱりバブルの時代に仲間が
土地を売ってしまってビルが多く
なりましたよね。
煙草屋の息子がビルの最上階に
住んでいるとか…お金持っていない
人間が土地売った瞬間に金持ちに
なりますから。」
小黒「地元では日常的に何かを
撮ったりしているんですか?」
矢口さん「下町で自分が率先して
何かを撮るというのはないんです
が、近所に商店街があって仲間も
多いのでお店や料理を撮ってよ、
と言われてお手伝いしていますね。
近所の人は世界遺産のカメラマン
だなんて誰も思っていませんから笑」

小黒「清澄白河もずいぶん素敵な
中華料理屋とか、飲食店のレベルも
上がったんじゃないですか?」
矢口さん「そうなんですよ。
やっぱり下町に外の血が入ってくると
化学反応で中国の方がいらしゃって、
中華料理は美味しくなるし。
あと、ブルーボトルさんという
カフェが入ってきたことで、
周りにカフェが増えましたね。」

小黒「清澄白河には現代美術館が
あるので周りにギャラリーが
できるかなと思ったけど、
まだポツンポツンですね。」
矢口さん「そうなんですよ。
そこはやっぱり下町のいいところと
悪いところなんですけど、
新しいものを受け入れる土壌が
少ない。カフェによって
ギャラリーも増えましたけど、
美術館の増え方は都心部と比べると
やっぱり遅いですよね。
ただ、流れは間違いなく文化的な
匂いを感じていますね。」

今夜の選曲…ERDAYDIDDER ERDIDDAR / BIBIO

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2021年05月19日

Youtubeでの活動…動画のこれからについて伺います。

カメラマンの矢口信男さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー矢口さんにこれからの動画の
世界について伺いました。

矢口さん「これから、皆さんが持っている
モバイルがどんどん高画質になっていくと
思うんです。そうすることでどんどん
動画は身近になっていくと思いますね。」

小黒「矢口さんが見ていて、面白いな
と思った同世代のYoutuberとかいるんですか?」
矢口さん「海外には結構いらっしゃいます。
私はカメラマンであってカメラオタクなので
知る限り多くのカメラマンが
結構いたりします。
どの分野でも専門家っていらっしゃると、
思うんですけど、私たちみたいなマルチな
テレビカメラマンってどちらかというと
個性があまりないんですよ。
でも、Youtubeだと専門チャンネルが
いくらでもあります。
実際に私は、建築家の高松伸さんの
作品をテレビ番組ではできない様な
インターネットのチャンネルで、
しかも4Kで発信しています。」

ーー実は将来、月に行ってみたいという野望も!?

矢口さん「海外行き出した時に、
人のいけないところに行けるのは
この仕事の特権かなと思ったんです。
月面と南極はまだ行ってないので、
その二つはいきたいんですよね。
世界を回った時に、記憶に残る
のは生命を感じない様なところが
楽しかったりするんですよね。」

HP:下町STUDIO TV
Youtubeチャンネル:下町チャンネルTV

今夜の選曲… A THOUSAND SYLLABLES / BIBIO

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2021年05月18日

進化を続ける、映像の技術革新について伺います。

カメラマンの矢口信男さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー矢口さんは世界40カ国で
特別許可によるドローン撮影を
行っています。
ドローンの登場によって映像の世界は
どれほど変わったのでしょうか?

矢口さん「ドローンは空中に三脚が
くっついている様なものなんです。
ヘリコプターだと、どうしてもローターが
風を起こしてしまって低空には
入っていけない。ドローンだと、
低空に入っていっても、動物を含め
かなり接近した状態で撮影ができます。」
小黒「今までで矢口さんの中で会心の
ドローン撮影の経験について
教えていただけますか?」
矢口さん「自分で撮影しているので
いうのもあれなんですが、
世界で初めてドローンで撮影した
マチュピチュの空中都市。
あれは、人が全くいない状況で
撮らせてもらっているので
誰もみたことのない映像が撮れた、
というのが一番ですよね。」

小黒「今、映像の世界では4K、8Kと
どんどん進んでいますが、プロの矢口
さんから見て、この先もあるんですか?」
矢口さん「いくと思います。
というのも、私は4K、8Kの専門の
カメラマンですので次に起きることは
なんとなく予見できますね。
4K、8Kは全く違います。
解像力なので、近くで見ると物凄い
高密度の映像になっているので、
目の前で見ている様な感覚です。
8Kで撮影したのはここ2、3年です。
去年、知床を8Kで撮ったり
しているんですが、オンエアを見るより
撮った素材のままで見るととてつもなく
きれいですね。」

ーー収録時は清澄白河にある事務所兼・
スタジオからリモートで
出演していただきました。
下町STUDIO TVという
ホームページ、Youtubeチャンネル
下町チャンネルTV」も開設されています。

矢口さん「スタジオは研究室みたいな
映像オタクの部屋ですね。
名前はついていないんですが、
”下町の玩具箱”と勝手に言っています。
動画ホームページは結構前からの夢で、
海外でいろいろなものを見てきて、
インターネットを使って世界発信をしたい、
と思っていました。
結構前から4Kで動画を配信しています。
スタジオが固定なので仲間が来て音楽を
やったり、対談したり、他愛もないことを
やったり4KのVTRを流していたりしますが、
もう完全の趣味なので、何の利益にもなりません…笑」

今夜の選曲… CARBON WULF / BIBIO

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2021年05月17日

「世界遺産」の撮影でおなじみの名カメラマンに、「映像の現状とこれから」伺います。

カメラマンの矢口信男さんをお迎えしています。
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※リモートでのご出演です。

ーー矢口さんは82年から「新世界紀行」
「世界ふしぎ発見」などの番組で
年間200日間世界の秘境を
踏破されています。
アフリカ・アマゾン・
ヒマラヤなどの世界自然・
文化遺産を撮影されています。
今までに回ったのは100か国以上!
その中で危険な事態に陥ったことも。

矢口さん「病気や警察沙汰など
ありますが、なんとかなります」
小黒「アフリカではマラリアに
罹ったとか…もちろん感染症等
の予防もされていくんですよね?」
矢口さん「予防薬などを持って
いったりするんですが、全く
通用しなかったりするんです。
結局、気休めになってしまう。
マラリアになった時、最後、
吐血して全く目が見えない状態で
砂漠に飛行機を降してもらって
助けてもらったんです。
その時はマラリアって分かって
いるんですけど、全く知らない
病気かもしれないって思っちゃう
んですよね。」

矢口さんはTBS「世界遺産
特別番組”エベレスト”
サガルマータ国立公園、
神の山を見下ろす」のロケで
軍の飛行機で地上9000mから
特別撮影もされました。

矢口さん「当初は窓を閉めている
んですが、開けると外気が
マイナス何十度なので矢が
突き刺さる様な寒さが目に
くるんですよ。」
小黒「他にもエジプトで史上初の
ツタンカーメンのミイラCT調査の
全貌を独占撮影されたとか?」
矢口さん「当時、世界5カ国くらい
から選ばれたカメラマンの1人に
選んでもらって、1人持ち時間
5分でどれだけ撮れるかというのを
やりました。CTスキャンをする前の
ツタンカーメンを距離にして50cm
くらいの距離で撮影しました。
今でも忘れないんですが、
とんでもないエネルギーというか、
オーラが見えて、これは危ないな
と思いましたね。」
小黒「そして、ペルーのマチュピチュ
の空中年も世界で初めてドローン
撮影に成功したと」
矢口さん「そうなんです。
運がいいことに、撮影が出来まして。
10年くらい前にも空撮をしているん
ですが、それも最後の空撮だったと
思いますね。」

今夜の選曲… BEFORE / BIBIO

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2021年05月13日

【Podcasting 第734回】代島治彦さん

今回のポッドキャスティングは、
5月10日~13日放送分、
映画監督、代島治彦さんです。

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2021年05月13日

映画「きみが死んだあとで」に代島監督が込めた思いとは…?

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

小黒「映画『きみが死んだあとで』を
拝見して思ったのが、インタビューを
受けている皆さん、読書家ですよね?
後ろに本がいっぱいあって…
だから、当時の思想っていうのは、
読書によって培われたんだな
と思いました。
で、今の若者たちはメディアが
違っていて今の彼らの思想を
形成する物っていうのが
一体何なのかという疑問も
持ちました。」


代島さん「若者たちの思想を
形成するものはわからないんですが、
彼らの感想で面白かったのが、
『今の時代は同調圧力が強くて、
萎縮して同調しない人間が生きづらい。
けれど、当時の社会にも同調圧力は
あったんじゃないか。
時代が変わってもあまり人間の
特質は変わっていないんじゃないか』
という受け取り方をしている
人もいました。」

小黒「『きみが死んだあとで』の
冒頭は、弁天橋で亡くなった
学生の遺影を学生服を着た
監督自身が掲げているじゃないですか。
あのシーンの意味を教えていただけますか?」

代島さん「特別意味はないんですが、
彼…山崎博昭は遺影の姿…
18歳のままです。
彼が今の時代に橋の上に出現したら
見る人はどんなイメージを持つのか
と思って、弁天橋の上で撮影を
してみました。ただ、僕が
拘ったのは、土砂降りの雨の日に
撮りたかったんです。そこは
僕の気持ちが入ってしまいましたけど。」

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代島さんの最新作「きみが死んだあとで」 が
渋谷のユーロスペースで上映中です。
映画公式HP:http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲… AS TEARS GO BY / ROLLING STONES

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2021年05月12日

広告代理店から映画監督へ。代島さんが監督になるまでのお話、伺います。

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

ーー代島さんは早稲田大学
政経学部を卒業後、博報堂に勤務。
その当時は映画監督になろうと
思っていなかったそうです。

代島さん「僕らの世代はモラトリアム
世代と呼ばれていて、大学時代
執行猶予みたいに自堕落に
遊んで就職していくイメージ。
僕自身は、体育の授業を2単位
落として留年したんです。
ちょうど留年仲間に広告代理店を
受ける友人がいて、彼に願書を
取り寄せてもらい、彼は電通、
私は博報堂に受かりました。
ただ、どうも自分が何を
やりたいのかよくわからない
状態で就職したのもあって、
2年で博報堂をやめてしまい
ました。」

その後、代島さんは94年から
ポレポレ東中野を代表を
勤められました。
博報堂を辞めてからは、
多くの映画監督に近付いたり、
放送作家…雑誌やラジオ、
イベントなど様々な
活動をしていたといいます。
そんな代島さんに映画監督を
目指すには、何をしたらいいのか
お聞きしました。

代島「それは僕からは
なにも言えないですね。
というのも、ドキュメンタリーの
監督というのは大掛かりなスタッフ
編成で作ったりしないんです。
「きみが死んだあとで」も
カメラマンと2人で撮っていますし。
ただ、映画の学校で教えていたことも
あるんですが、映画監督というのは
学校に通って教えられてなるものでは
ないな、と思いますね。」

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代島さんの最新作「きみが死んだあとで」 が
渋谷のユーロスペースで上映中です。
映画公式HP:http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲… HONKY TONKN WOMEN / ROLLING STONES

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2021年05月11日

当時の若者たちにとって”青春と挫折”はセットだった。

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

代島さんが監督した最新映画
きみが死んだあとで」が
ユーロスペースで上映中です。
今夜もこの映画について伺っていきます。

小黒「この映画はどういう人に
見てもらいたかったんですか?」
代島さん「大きくは二つ。
一つは学生運動に実際に関わった
人たちや時代を共有した当事者世代。
一番見て欲しいのは、
今の若い人たちです。10代から20代、
全然違う世代がフィクションのように
感じて、実際にその時代があったことを
見て欲しい。」

小黒「今、若者たちは何らかの
動きをしようとしているんですかね?」
代島さん「日本の場合、
過激になっていった学生運動を
納めていく中で教育を含め、
若者たちをコントロールしていく
体制がプログラムされてしまった。
香港や今回のミャンマーもそうですが、
なかなか行動を起こしずらいんです。
ただ、この映画を見て、昔の日本の
学生はそれが可能だったというのを
知ってもらい、同時に愚かなことも
あったという事を知ってもらいたい。
その上で、自分たちがどう動けるのか
考えて欲しいと思います。
日本の今の若者たちは生きていくことへの
不安がとても大きいので、
道を外れたらダメなんじゃないかと
思っている。
日本はリーダーも現れなければ、
運動も構築できない。
今は、動きやすい気候変動みたいな
ソフトな問題で動き始めています。
あとは、昨年のBlack Lives Matterの
ような人権問題や、女性の人権問題。
そういう取り組みやすいところから
当事者が声をあげていくのが、
日本の場合は盛り上がっていくと
思いますし、この映画を見て、
それを実際にやって欲しい
というのを思っています。」

小黒「映画を見た実際の
若い人の反応はどうですか?」
代島さん「まるでフィクションだと言いますね。
宮崎駿の『コクリコ坂』みたいに学生が
盛り上がっていた時代があったことに
ただただ驚くといった感想です。
一つ面白い反応は、就職活動をしていた女性が、
『貴方にとっての一番大きな挫折体験を
教えてください』と言われた時、
自分は挫折した体験がないことに
気づいたと。
映画を見て、『学生運動の時代は
挫折と青春はセットだった、
挫折をするために青春をやっている
感じがあった』と……。
それに一番驚いて、自分も挫折を
するような青春の行為をしてみたく
なったと言っていた女性もいました。」

※代島監督が語った大学生との対談の
様子が下記のリンクからYoutubeでご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=nwdXYcsfD5E

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映画「きみが死んだあとで」 HP
http://kimiga-sinda-atode.com
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今夜の選曲…THE ROLLING STONES / HEART OF STONE

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2021年05月10日

第一次羽田闘争でのある1人の青年の死、そしてそれを取り巻く人々を描いた最新作「きみが死んだあとで」とは?

映画監督・代島治彦さんをお迎えしています。

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※リモートでのご出演です。

代島さんが監督した映画
「きみが死んだあとで」が
ユーロスペースで上映中です。
http://www.eurospace.co.jp
この映画について伺いました。

小黒「すごいよね。3時間20分の
長編ドキュメンタリー作品。
時間に関してはどう思って
お作りになったんですか?」
代島さん「僕も映画の一番適度な
商品としての長さは
知っているんですけど
もうこれ以上切れない、
という感じでした。」
小黒「私もずっと見ちゃいましたね。
学生運動をやった人たちの
熱いドキュメンタリーとしても
見れますが、僕にとっては
1人の人間が人生の終盤に
向かって自分の青春の衝動で
動いた事をどうやって総括
しているのかを、それぞれ
違う思いで語ってくれるのが
面白かったですね。」
代島さん「ちょうどあの僕は1958年
生まれで、団塊世代よりも10歳下です。
逆に言えば、希望も絶望も全部
あの世代に見てきた世代なんです。
小黒さんのいうように、死ぬ前に
総括してくれよ!という思いで
作った部分もあります。」

代島さん「この映画は1967年の
10月8日、ベトナム反戦を唱えて
首相が南ベトナムに訪問するのを
阻止する闘争を羽田空港に通じる
橋の上でやったんです。
そこで、当時18歳の若者が
機動隊に頭を殴られて死んで
しまったと言われているんです。
そして、その若者の兄や友達、
先輩をインタビューで取材しました。
彼の死以降、それが号砲となる
様にその後の学生運動が
どんどん盛り上がっていきます。
ただ、東京大学の安田講堂の
決戦を境に雲行きが怪しく
なっていき、浅間山荘事件などへ
つながっていく…。
70年代に希望を持って始まった、
彼らの闘争が絶望の淵に立たされる
ようになっていくまでを、
1人の死者を中心に描いていく
ドキュメンタリーになっています。」

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映画「きみが死んだあとで」 HP
http://kimiga-sinda-atode.com
==================

今夜の選曲…THE ROLLING STONES / JUMPIN’ JACK FLASH

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2021年05月06日

【Podcasting 第733回】小堀夏佳さん

今回のポッドキャスティングは、
5月3日~6日放送分、
野菜バイヤー・愛の野菜伝道師、小堀夏佳さんです。

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2021年05月06日

「メイドイン東京」と「野菜伝道師」の活動について伺います。

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

働いている現場から社会貢献に気づかれた
小堀さん。メイドイン東京という
活動につながりました。

小堀さん「メイドイン東京というのは、
バイヤーとして全国に回っている
時に、地方の方が美味しい食材が
あって地方ばかり回っていました。
東京でものづくりをされている方々に、
オイシックスを離れてから出会うことが
結構ありました。
水天宮の昔ながらの佃煮屋さんや、
青戸でお米から作っている煎餅屋さん、
焙煎も自分でやっている東京麦茶
だったりと、そういう職人さんと
会った時に東京にも
すごいものづくりの方が
いっぱいいることに気づいたんです。
それで、東京の農家さんを回る
ようにしていたんです。
そうすると、江戸東京野菜とか
外来種に出会うことがありました。
農家さんに『あ、東京か』と
言われるのが恥ずかしくて、
自分が生まれた東京を
語れなかった。
東京にもこんな素晴らしいものが
あることを、食べ支えて伝えて、
子供たちにも気づいてもらいたい
ということで、東京の食材を
発信する活動をしています。」 

メイドイン東京のHPはこちらから

今夜の選曲… (YOU MAKE ME FEEL LIKE)A NATURAL WOMAN / ARETHA FRANKLIN

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2021年05月05日

大企業から、ベンチャー企業への転身…

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

ーー小堀さんは中央大学経済学部を
卒業され、住友銀行へ入行されます。

小堀さん「住友銀行時代は、資産運用を
担当していて、外回りが主体でした。
当時もう、金融の預金は儲からないと
いう商品だということで、外貨預金や
投資信託を一般の人に販売し始めた
年に入りました。
資産運用を会社社長や経営者の方に
お話しするのが私の仕事でした。
ただ、私には全くあっていませんでした。
もともと、食べ物が好きだったので
食べ物の会社に入ろうとしていたら、
尽く落とされていたんです。
女性の総合職は1名、取るか
取らないかみたいなところだったので、
全て受けた会社は落とされていたところ、
ご縁で住友銀行の方々と10名くらい
会う機会があって、こういう人たちと
働きたいという思いを持ったんです。
その時は、したいことよりも、
この人たちと働きたいという方向に
変わって銀行に入りました。」

小黒「そういう人たちと働きたいと
思って 銀行員になったと思ったら
たった3年でオイシックスに
転職した理由は何だったんですか?」
小堀さん「外回りをしていた時に、
私は体育会系だったので、1日にローラーで
100件とかをやっていたんです。
あとは名刺に必ず一言書いて
ポスティングするというのを
やっていた時に、数字がものすごく
上がって成績は良かったんです。
ただ、回っていた時にお客様の声を
よく聞くんです。
その際にそれを本店へと返していくんですが
大企業って商品やサービスを替えるのが
簡単にできませんでした。
お客様の声を聞いたら、すぐに
商品やサービスを変えられること
がしたいと思った時に、大企業ではなく
ベンチャー企業だと思いました。
あと、もともと目指していた食への
興味がすごく湧いてきたので、
食のベンチャー企業を探したら
オイシックスしかなかったんです。」
小黒「君がいなかったら今の
オイシックスはなかったと思うよ?」
小堀さん「そんなことないですよ〜。
ただ、オイシックスが成功したのは、
経営者と産地の担当が別だったこと。
産地側から出てきた人って、産地よりに
なりやすい。利益を出していくのが、
それでは難しい。産地と経営が意見を
言い合って最終的な落とし所を
見つけていくのが成功した事例だと
思いますね」

今夜の選曲… I NEVER LOVED A MAN(THE WAY I LOVE YOU) / ARETHA FRANKLIN

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2021年05月04日

野菜バイヤーとして野菜のヒットを生む、というお話伺います。

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
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*リモートでのご出演です。

ーーオイシックスで野菜バイヤーとして
試行錯誤の日々を続けていた小堀さん。
ある日、自身が名前をつけた
”ピーチかぶ”という商品が大ヒットしました!

小堀さん「もともと、小玉スイカの
蔓を引っ張って止める誘引という
作業を教わりにいっていた畑で、
遠くの方に1列だけ兵隊のように
カブがポコポコって出ていたんです。
そのカブがあまりに可愛くて
スイカのことより
『あのカブって何ですか?』
って聞いたら、
『これは売れない黒いカブなんだよ』
と言われたんです。
その春のカブを畑で食べた瞬間に
桃みたいな食感だったんです。
柔らかくてすごくジューシーで
見た目もまん丸で桃くらいの大きさ。
これを”ピーチかぶ”って名前で
売り出したらいいんじゃないですか?と、
それで売り出したら大ヒットしたんです。」

小黒「そのピーチかぶは19年前の
話ということですが、その農家さんは
作り続けているんですか?」
小堀さん「他の農家さんでは
作れないというのがあり、
千葉県富里市の田中さんが
今でも作り続けています。
当時は全くの素人だったので、
市場のプロの方々の目利きとは、
全く違う価値判断だったと思います。」

今夜の選曲… CHAIN OF FOOLS / ARETHA FRANKLIN

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2021年05月03日

銀行員からの転身、野菜バイヤーとなったお話についてたっぷりと伺います。

野菜バイヤー・愛の野菜伝道師 小堀夏佳さんをお迎えしています。
IMG_8844_blog.jpg
*リモートでのご出演です。

ーーまず、愛の野菜伝道師という肩書について伺いました。

小堀さん「20年前に畑を初めて回ったときに、
美味しい野菜には農家さんの愛があると思いまして、
野菜を売るというよりも農家さんたちの
思いや愛を野菜に乗せて伝えたいと思い、
会社にお願いして名刺につけさせていただきました。」
小黒「東京の人が農家の現場に行くと、
『お前たちに何がわかるんだ』って
言われませんでした?」
小堀さん「言われました!
当時は27歳だったので野菜のやの字も
知りませんでした。実際、知らないという
ことを恥をさらして農家さんに
話すと、可愛がってくださって
ひとつひとつお父さんのように
教えてくださいましたね。」
小黒「でも、東京で育って農業を
やっている人も身近にいなかったのに、
畑を回ってみてよく我慢できたね?」
小堀さん「実は私、野菜の部署に
任命されたときものすごく嫌だったんです。
前職は銀行だったし、ケーキとかを
開発するのは憧れだったのですが、
人がいなくて任命されました。
ただ、銀行時代の外回りが
すごくいい経験になりました。
当時、社長や経営者と話す機会が
あったので、同じ土俵に立つには
知識を入れなくてはいけなかった。
農家の方も、物づくりの職人さんという
意識はあったので、農家さんの読んでいる
現代農業という雑誌や、農業新聞を
読んで勉強しながら畑に行っていました。
仕事で回ったのは全国の畑でしたが、
当初は会社のパソコンで調べていたり
して外には出ていませんでした。
初めてキュウリがサンプルで
送られてきた時、キュウリは
味がしないと思っていたんですが、
そのキュウリは味がしたんです!
この味のする理由はなんだろうと、
いう想いに駆られて初めて畑を
見に行ったのが福島だったんです。」

今夜の選曲… I LOVE YOU / ARETHA FRANKLIN

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