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Deutsches Institut für Japanstudien
マチアス・ウルス・ツァハマン

マチアス・ウルス・ツァハマン

マチアス・ウルス・ツァハマン
日本学、中国学
2002年11月 〜
(奨学生, 2002年11月1日 - 2003年12月15日)

テーマ:日本の文化的自己認識における“中国”像

 19世紀半ば、日本は自己の意思に反して外的圧力により開国し、世界政治の発展に加わることになったが、アジア諸国においては依然として孤立していた。開国はアジアにおける日本の立場上の認識を根本的に変化させるに至った。かつて日本は中国を模範としていたが、西洋の介入により、世界政治において生き残るため、文明開化の徹底を余儀なくされた。その結果、西洋の強国を模範として、アジア諸国拡張への道を歩んできた。そこで、日本の自己認識は極めて困難な相反状態に陥り、アジアにおける孤立は長期にわたり続くこととなったのである。
 これから始まる21世紀において、東洋における安全保障の政策的発展は、日本と中国の関係が決定的な要素となる。この二国間の関係は長い間強い不信感に支配されており、本来それを補うべき要素、例えば経済関係などでそれを越えることができなかった。不信感は特に過去の紛争がたえず繰り返されることによって助長された。過去の紛争に関する話し合いにおいて、日本と中国は次のような一説を前提としてあげている。すなわち、この紛争の起点は1894-1895年の日中戦争にあると見られる。この戦争は、突然両国に根本的な変換をもたらした分岐点と捉えられる。それ以来、両国は和解することなく、その後も膠着状態のまま互いに歩み寄りがなされなかった。つまり、第一次日中戦争により生まれた相互認識が、両国を不可避的に1937-1945年の第二次日中戦争に導いたといわれている。
 このような前提は、どのように国民と自己認識が形成されるかというプロセスを考慮すれば、学問的にも日中関係の歴史的起源からも信憑性がない。むしろ1894-1895年の日中戦争の勝利は両国に“ショック”効果をもたらし、一方、このショックを徐々に乗り越えていく過程で、本来の概念と多様な新しい概念との選択が互いに対立し、また、それに続く出来事に影響を与えた、と推測される。
戦争とそれに続く歴史的発展は日中関係にとどまらず、日本対西洋の関係およびこの時代の日本の文化的自己認識をも決定付けた。1895-1904年の十年間はこの認識決定過程において特に重要だとみなされる。つまり、この間、日本の自己認識は“西洋大国の影に潜む小国”から“アジア唯一の大国”へと発展した。
 この研究の目的は1895-1904年のアイデンティティ論争とその関連における中国像の発展を明らかにすることである。できる限り広範囲にわたる基礎資料を考察し、当時の代表的な意見の選択に関して、特に公論については、その裏づけとなるべく影響力の大なる代表者を選んだ。テキストとしては、福沢諭吉、内村鑑三、陸羯南、内藤湖南、田岡嶺雲、岡倉天心を使用する。