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Deutsches Institut für Japanstudien

マリア・グラジデイアン・メンゲル

日本学/音楽学/フランス学
2006年3月 〜
(奨学生, 2006年3月1日 - 2006年9月30日)



  • 記号概念としての文化
  • [Afterology」の向こうカルチュラル・スタディーズ
  • 異文化間の対話としてのジェンダー研究
  • 西洋理論との日本現象の使い方

博士論文の概要
愛の浮世-アニメ、アイデンテイテイー、また日本

色々な愛のかたちは(一方:愛の夢、愛の希望、愛の禁制、愛の実現;他方:友愛、兄弟愛、両親愛、自己愛、環境愛、将来愛)人間を homo amans と定義し、またはデカルトからの理性的な人間の定義を(Cogito ergo sum:我思うー故に我あり)愛する人間の定義に変えるということが可能なのか:Amo, ergo sum(我愛するー故に我あり)。
現代日本の世界を研究する者にとって、アニメは灯台の光のようなものだ。私は、アニメで新しい文化と人間に出会った。そして、他の人が生きた日本という世界を知り、その不思議で魅力的な世界に気づいてほしいと思ったのである。この博士論文は、「アニメ」を「ポストモダンな愛」の理論で分析している。前半部分では、「ポストモダンな愛」の新しい理論について、また後半部分では、アニメの定義や特徴、その歴史について言及し、更に最後章では、アニメの中で表現されている色々な愛のかたちから見た日本人のアイデンテイテイーの問題、世界と将来のためにどういう意味や機能があるか論述する。そこでは、そのアイデンテイテイーは自然なものではなく、文化的、歴史的な、日本人によって作られた思想、また「遊び」として分析する。
アニメに表現される「愛」はユートピア(理想世界の現実)だ。私は、西洋の世界のような急激な変化が必要なのだろうか、静かで平和な変化は実現できないのだろうかという疑問を常に持っていた。ある観点から見ると、アニメは、静かな革命という現象を可能性として提示し表現する。革命は深く、静かな思想を体現する。社会や歴史に静かな革命は必要だと思う。急激な革命の時代はしだいに廃れる。その代わりに平和で、緩やかな変化の時代が求められてくると思う。アニメは、この可能性を秘めている。
アニメに描かれる「愛」は人間の願望だ。幸福になるために人間には希望が必要だ。おそらく将来、人々は世界が競争の場や苦痛の原因、失望の宇宙ではないことを知るだろう。現実はとても苦しい。たとえアニメの世界が夢の世界だと知っていても、より良い世界を作るための色々な問題と疑問に対して希望と解決法を示している。夢や将来、他人や自分の力を信じることの大切さを他の人に伝えたい、というのがアニメのユートピアだと思う。
アニメで表現される「愛」は、色々な疑問に対するヒントが隠されていると思う。アニメの中の世界は複雑できれいではないが、悲観や失望は問題の解決法ではないと表現している。一個人ずつ、様々な解決法があることも大事な思想だ。昔、子供は大人と絶対的に違う生き者だと思われた。今日、子供らしさと大人らしさという観念の相違は、人々によって作られることがしだいに分かってきた。人間が他人の間に果なる一個体とされ、システムに組み込まれ、理不尽な事に苦しみ、ロボットのように支配されることは苦しいことだ。人々は自由ではなく、社会や義理、人情、恐怖などのしがらみに縛られるこの世界には疑問が海のようにあふれていてそれら全てに答えることはできない。しかし、人々が自分は世界の一つの要素に過ぎないということが分かれば、良いかもしれない。
「愛の浮世 ― アニメ、アイデンテイテイー、また日本」という論文のタイトルは「愛」の問題と疑問を纏めている:現代の浮世の消費社会で、どんな「愛」がまだ可能なのだろうか。今日までに書かれ、経験され、知覚され、そして感動され、感じられてきた「愛」はもう死んでしまったのであろうか。「愛」の死はポストモダンな世界で四番目の死 ― 人間の死、歴史の死、純正哲学の死 ― の後だろうか。死んでしまった「愛」から、新しくてしかも純粋な「愛」のかたちが生まれるのであろうか。「愛」が無くても、人は生きていかれるのであろうか。結局、人間の浮世の中で「愛」とは何であろうか。おそらく、「愛」の役割が解かると、アイデンテイテイーということが説明できるかもしれない。
アニメというユーニクな現象の裏には多くの神秘が潜む。そして、アニメを通して表現される「愛」のかたちが見え、分かると、人類のユートピアのための解決法が見つけられるようになるかもしれない。二十一世紀において、アイデンテイテイーとは、グローバルな共同体の中で自分を求め、他人と共に新しい時代を作り出すという意味があるようになる。人間は(子供も、大人も、老人も)理想と夢を信じるならば、近い将来で個人的な力で解放と自由がもっと良い世界を構築することが可能になる希望している。