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Der Russisch-Japanische Krieg 1904/05 im Spiegel deutscher Bilderbogen 日露戦争百周年記念展覧会 『ヨーロッパから観た日露戦争 ― 版画新聞、絵葉書、錦絵』

細部

2005, 119 p

Der Russisch-Japanische Krieg 1904/05 im Spiegel deutscher Bilderbogen 日露戦争百周年記念展覧会 『ヨーロッパから観た日露戦争 ― 版画新聞、絵葉書、錦絵』

Der Russisch-Japanische Krieg 1904/05 im Spiegel deutscher Bilderbogen 日露戦争百周年記念展覧会 『ヨーロッパから観た日露戦争 ― 版画新聞、絵葉書、錦絵』

 ヨーロッパの近代日本に対する認識を大きく左右したのが、1894-95年の日清戦争であり、1904-05年の日露戦争での日本の勝利であった。軍事大国だと立証したことによって、極東の島国であった日本は、はじめてヨーロッパから対等な存在として認められたのである。とりわけ、すでに日本陸軍の近代化に大きく貢献したドイツも、日本を一等国とみなすようになった。一方、新興国日本に対する脅威、差別的思考もなお根強いものがあったことは、「黄禍論」といったスローガンや皇帝ヴィルヘルム2世の「フン族演説」などからもうかがえよう。しかし、どちらの立場をとるにせよ、日本が当時軍事大国の筆頭格とみなされていたロシア帝国に勝利をおさめたことは、ドイツならびにヨーロッパが日本に対する認識を改めるため、きわめて重要な役割を演じたのである。
「日本におけるドイツ年」の一環として、また日露戦争百周年を記念して開催される本展覧会は、ちょうど一世紀前にドイツやヨーロッパがどのように日本を受容していたのかを示そうとするものである。展示品の中心をなすのは、「一枚絵」(Bilderbogen)としてはヨーロッパ最大の規模を持つ、ノイルッピン市美術館版画新聞コレクションの収集物である。一枚絵の中の一つのジャンルである「版画新聞」とは、絵入り新聞の前身であり、19世紀及び20世紀初頭における典型的なマスメディアであった。当時ニュースは、版画新聞として挿絵入りのかたちで広められた。東アジアの政治状況が版画新聞に登場しはじめたのは、19世紀の半ば以降のことであった。これらの版画新聞は、東アジアがどのように認識されていたのか、またドイツやヨーロッパの日本イメージはどのようなものであったのか、を目に見える形で示してくれる。すなわち、その後の日独関係を規定することとなった決定的な時期に、政治史的にも文化史的にもきわめて興味深い同時代史料といえよう。版画新聞以外には、ヨーロッパで発行された絵葉書、日本に残る錦絵、石版画などが展示に含まれる。